阿部伊勢次郎と妻キン ちょうど今から遡ること、75年になるでしょうか。私が農業を始めて2年になる時ですから、17歳のときです。その時、父・伊勢次郎の発想としまして、この目の前の山雑木(ざつぼく)、ぞうきの山に、それまで栗を拾ったり、キノコをとったりしていたのですが、「花を植えたら目の前にきれいな花の山ができるんだ、非常に大きい楽しみができるんだけどなあ、しかもそれは農家でなかったらできない喜びなんだよ」というのが父の発想でありました。それは、すばらしいと家族一同よろこんで、目の前の山に花を植えることを一つの夢であり楽しみであるというようにして、少しずつ花を植えておったのです。それが15年、20年と経るにつけて、非常にきれいな花が、山に咲くようになってきました。
 農家であるというのは、非常に喜びの少ない職業でありますが、目の前の山にきれいな花が咲くことが、改めて喜びになっていきました。
ああよかったなあと感じたのを思い出します。そうすると、これからだんだんとがんばって、この山を全部花の山にしようなどと、先を思う、大きなはずみにもなりました。
自宅前から花見山に向かう来訪者の列(昭和35年頃) そんな時です。近所の方々が、花を見せてほしいと非常に多くおいでになりました。父はどうしようかなあ、と言いながら
 「花は春夏秋冬、そうした暑さ寒さに耐えて花を咲かせる。花の命は短い。しかもその花はすばらしい、きれいだ。その花を自分らだけで見ていいのだろうか。ならばそれは皆で見よう」
 「皆さんどうぞ、見たい方はどうぞ見てください」というのが私の親の発想なのでした。
 花を育て眺めることは、我が家の楽しみであり、皆さんと分かち合ったなかに眺めるならば、一層楽しいだろうという父の考えが、花見山公園の原点なわけです。
 皆さんから親しまれるようになってきたこの53年ですが、花農家として我が家の生活と楽しみの山であり、みなさんと分かち合う楽しみの山でもあるわけです。それは知っても知らなくても、花を見て「きれいな花だなあ」と、それだけでいいと思っています。
 花が人の心に与える力というものは非常に大きいなあと、花と暮らした中において私はしみじみ感じております。こんなにきれいな花が何の求めるものもなく咲いてくれる。そして私たちの心をいやしてくれる。そうした中に、私も人生の潤いを感じるし、皆様が喜んでくださる。そうするとそこに、開放しぢからも出てくる。
 そのように初めの頃の父の思いに沿って、そのままに延々とやってきているのが花見山公園というわけです。