私(阿部一郎)は心易くつきあいを続けてきましたが、偉い方だというのが分からなかったおかげで、花を通してのお付き合いができたと思っております。
20年くらいは通ってこられましたね。山を歩くことなんてそう慣れてないでしょうね、足元がよろついたりしてね、そうするとうちのこの部屋で休んでね、休んでは話して。そうして接してきました。
後でわかったんですけれども、秋山さんは大正9年生まれだから、私と同じ年代でね、兵隊にも行ってきていました。このことについてはわざわざ言葉にしなくても通じるものがあるんです。やはり、それなりの経験をしたなかから、写真という道へ移っていく。
うちで休みながらね「母親がいけばなを教えていたんですね、だから私、花に関心あったんですよ。最初女の子撮ってましたが花を撮るようになりましたよ」なんて言ってましたよ。同じ年代ですので社会経験も同じだから、ざっくばらんに話をしてました。毎年毎年、年に3回ぐらいおいでになりましたね、花の咲かない時、盛りの時、終わったときと、自由に、自由奔放にね。周りの人に、福島へ行くからなどと言わずにポツッと来るそうですけどもね。山形に別荘があったそうですし来なれていましたね。
花見山を桃源郷と名前をつけたのは秋山さんでしたね、福島でも、それまで誰もそんな呼び方をしない。みな、桃源郷と付け加えるようになったのは、秋山さんが「福島に桃源郷がある」と言った後ですね。
私は旅行をしない、閉じこもってる人間で、世間がわからない人です。「何だ秋山さん、そんなこと言って」と、私は御世辞のようにしか思ってなかった。ところが秋山さんが亡くなってから娘さんが手紙をよこしてくださった。
「父がいつも食事の時に『福島には、すばらしい所があるんだよ。桃源郷だ』と、そう話していたから私も行ってみたい」という手紙でした。
秋山さんの言葉は御世辞だと私は勝手にそう思っていたの。だが娘さんの言葉はこれはお世辞でないと思ったの。家の中で親子してそうしゃべっておったんだと。これは御世辞ではない。花見山ってそんな風に言っていただくほどなのかなあと。私は、井の中のカワズという言葉の通りで世間知らずだから。
娘さんが、写真を送ってくれたりして。こうなったら秋山さんを思うためにも、花にも一生懸命手を入れようと思ったりしますよ。
娘さんは、今年(2012年)も来ていかれました。
秋山さんとは、花を通してお付き合いがうまれた。花がなかったら私もそんな方とは出会うこともなかったでしょう。
花には小さいときから関心があったと自分でいっていましたが、女優さんを撮っていた方が、花の写真にたどり着くというのも共通するものがあるからだと感じますよ。花の力、美しさというもの。きれいだなというだけでない、花の心というものが、ある時伝わってくるようになるんですね、そこまで見ることができるようになる瞬間がありますね。
農業をしているというだけでは、出会うこともないような方と会う。
花見山公園の開放の縁から、出会えるものがある、花のおかげですね。これが自分の農業生産の畑だというだけで、自分の楽しみだというだけで封鎖していたらばね、この喜びは感じられない。「人間は、求めるだけでなく」という生き方の勉強になりますね。